紀勢線廻りで北信越周遊、各駅停車日本縦断の旅


第3日その1 
2009/10/13 松本〜南小谷〜糸魚川




今日は大糸線で糸魚川に出て、北陸本線から信越本線を辿って大回りして長野まで行く。
放射冷却なのか松本市内は濃い霧に包まれている。列車が定時運行しているのか心配になる。

やって来た南小谷行きは2両連結だが、通勤通学客を詰め込むために1両は全部ロンングシート、もう1両にもボックス席は4つしかない。地図を見て景色の良さそうな左側のボックス席に陣取り、混まない内にコンビニで買ったおむすびを朝食に食べる。

視界は悪い。車なら徐行運転だが、ATSを頼りにスピードを落とさずに定時運転している。 7:01という早い時刻にもかかわらず定期客で満員。人いきれで窓ガラスが曇って外が見えない。見えたところで線路際の家が見えるだけで、それより遠くは霧に隠れて真っ白だ。



1時間ばかり走り信濃大町の手前で日が差してきた。
とたんに霧が晴れ、安曇野を囲む山々の稜線までクッキリと見えるようなった。
ヴェールを剥がすようにという表現があるが、まさに見えない手で引き上げられたかのように突然視界が拡がった。


仁科三湖のうちの木崎湖。ここから左窓の北アルプス山麓にスキー場が続く。

高校の時に初めて信州へスキーに行った。夜行急行「ちくま」で来て、半分しか開かない眼の前を「横浜フェリス女学院専用スキー場」という看板が通り過ぎた。「専用スキー場!!」なんとリッチな。しがない公立高校生には想像も付かない別世界だった。
今日その看板を探したが見つからなかった。



佐野坂スキーへ行くには南神城で降りる。
高校時代からここへはよく来た。
今は線路際からリフトに乗れるが、当時はスキーを担いでエッチラ登っていった。
リフトが2基しかない小さなスキー場で、初めてスキーを履いた。最初は転けてばかりで雪で手袋や靴が濡れてくる。何度もロッジのストーブにあたって乾かさねばならなかった。
昼になると民宿のじいさんがお握りを担いで持ってきてくれる。疲れて帰ると暖かいおしるこが待っていた。



その民宿が駅の傍にまだあった。
ご主人は佐野坂スキー学校の校長先生で宿泊者に教えてくれる。しかしそれは何度か経験のある先輩たちが対象で、初心者の私はまず自分で「慣れる」事から始めなければならなかった。


白馬駅辺りから既に冠雪した白馬岳が見えてくる。



南小谷(みなみおたり)で電車からディーゼルカーに乗り換える。
相当古い車両で窓に木製の台が付いている。飲み物がビンで売られていた頃は、この台の下に栓抜きが付いていた。

帰ってから調べてみると、この車両はキハ52で2010/3限りで引退することになっていた



南小谷からは姫川沿いに走る。名前は優しいが、こんな大きな岩を運んでくるほどの暴れ川だ。
国道が川の向こう岸を走っている。列車は時々スノーシェードに入るが、向こうも雪に対しては相当な構えをしている。




平岩−小滝間では列車の速度が極端に落ちた。25パーミルの標識が出ている。
急な坂を下り続けているのだろう。上り坂より下り坂の方がスリップの危険が大きいので慎重に下っていく。姫川は大きな蛇行していのでトンネルや鉄橋が増える。大糸線のハイライトだ。



3時間の汽車旅を終えて糸魚川に到着。
昨日から日本列島の最も幅の広い所を縦断してきた。 昨日は飯田線、今日は大糸線、明日は飯山線、明後日は越後線と、長いローカル線を1日1路線ずつ各駅停車で行く旅が続く。



糸魚川には煉瓦造りの車庫が残されている。
1912年に竣工した全国的にも極めて貴重な存在だが、北陸新幹線の建設に伴って来年取り壊される事になっている。地元で保存運動が起こっている。


乗ってきた老兵は一息ついた後、再び険しい坂道に挑む。



奴奈川姫(ぬなかわひめ)の像が駅前商店街に建っている。
大国主命の奥さんの人だが、なんでこんな所に出てくるのか。強大な権力者に翡翠を貢ぎ物にしていた象徴ではないかという説がある。



商店街を突き進んで行ったら海に出た。
糸魚川駅は何度も利用したが、こんなに海が近いとは知らなかった。





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