雪の東北冬の旅


第4日
2009/02/18 花巻〜一関〜気仙沼〜石巻〜松島海岸〜仙台〜仙台空港




花巻温泉郷の一つ大沢温泉は、豊沢川を挟んで山水閣という大きな旅館一軒で成り立っている。

満室だと言うが、とても静かでぐっすり眠れた。団体と子供がいないとこんなにも違うモノか。

朝一番に、川沿いにあるこの温泉自慢の露天風呂「大沢の湯」に入る。
気温は−8度、誰もいない。
この露天風呂は、内湯や半露天風呂に比べて少し高めの温度に管理されている。顔は冷たいが首から下は直ぐに暖まってくる。
貸し切り風呂の贅沢をタップリ楽しんだ。



山水閣の方は全客室が渓流向きになっている。湯治客用に自炊部というのが残っている。自炊部へは左の坂を降りていく。



この露天風呂は自炊部に所属している。自炊部の建物は、木造の昔ながらの温泉旅館である。
石油ストーブ臭いがする長い廊下を歩いていると底冷えがしてくる。
自炊部は玄関も別になっている。これがここの元々の玄関だったのだろう。




一関駅では、中尊寺が車体のデザインになっている列車を見かけた。東北随一の名所だからだろう。窓の部分がUSJのように内側から外の景色が見えるようになっているのか、単に窓を一つ潰しただけなのだろうか。


大船渡線はボックスシートだった。これでないと旅をしている気分になれない。
大船渡線は「なべづる線」として有名だ。本来真っ直ぐ東に進むべき路線が、途中で北→東→南と向きが変わり、この部分では3倍も遠回りしている。「我田引鉄」と言われた鉄道路線の引っ張り合いの結果だ。リニア新幹線では、長野県が「おらが県へ」と路線の遠回りを主張して顰蹙を買っている。

 そのカーブを確かめてやろうと窓からレールを睨んでいたが、列車はしょっちゅう右へ左へとカーブして、真っ直ぐ進むと言うことがない。これがそのカーブかと思うと直ぐに反対側へ曲がって修正する。
陸中門崎駅に入るといつの間にか列車が北を向いていた。駅の手前にトンネルがあったから、その中で方向転換したものと思われる。暗闇で人知れず「犯行に及んだ」訳である。こうなると次にはどんな手を使ってくるのかと意地になる。
 陸中松崎辺りで東に向かいそうだが、それらしきカーブは無い。次の猊鼻渓も過ぎた。 と、突然右へ右へと急旋回し始めた。今度は開き直って白昼堂々と披露して見せた。
 後半の2つのカーブは摺沢駅ー千厩駅間にある。こうなれば逃げも隠れもしませんと言うように、カーブしていったが、それでも未練たらしく直後には反対側へ少し修正した。



大船渡線の終点、気仙沼駅に到着
 駅は気仙沼湾の奥にあり山の中の駅のように見える。その屋根に「いるか」がミスマッチのように描かれている。




気仙沼を出てしばらくすると太平洋が見えてくる。もはや雪はなく穏やかな春の海だ。



大谷海岸駅は、駅の反対側が直ぐ砂浜の海水浴場になっている。駅から最も近い海水浴場だ。



気仙沼線の終点前谷地駅は、小牛田から来た石巻線の列車がそのまま女川へ向かったり、気仙沼線に別れて行く鉄道の岐路だが、平凡な小駅だった。
前谷地から石巻線にちょこっと乗って石巻で仙石線に乗り換える。このまま石巻線の終点女川へ向かいたいが、折返し便の発車までの一時間が致命的で、帰りの飛行機に乗れなくなる。
石巻は石ノ森章太郎の故郷で、原画を数多く保有する記念館があるが、パスする。

仙石線は仙台の近郊線でロングシートの電車だった。
女川へ行かなかった代わりに、松島海岸駅で途中下車して、日本三景の松島に立ち寄る。




松島では、3つの赤い橋を目指す。
駅前広場を右にとって、ヨットハーバーの横を抜け、第1の赤い橋「渡月橋」を渡って雄島に上陸。

かっては多くの堂宇が勧進されたと言うが今はない。死者を弔う岩窟だけが残っている。



妙覚庵跡からの松島湾の眺望は素晴らしく、「らしい」風景が拡がっている。
「松島や ああ松島や 松島や」は後生の作で、芭蕉は「奥の細道」で松島の句を詠んでいない。あまりの絶景に詠むことが出来なかったのだろうか。



2つ目の赤い橋を渡って五大堂(重文)へ。
雄島からここまでは観光船がぎっしりと海岸を占有している。島の数より舟の数の方が多い。
梯子に渡り板を置いたような、この橋は確かに記憶している。その時はこんなに鮮やかな色に塗られていなかった。




3つ目の橋、福浦橋。
この橋だけ記憶が無いし、いささか勝手が違う。 有料でどうも個人の所有らしい。「入場料」が高いわけではないが、入り口をフェンスで厳重に囲ってある。興醒めして引き返してきた。前にもそうしたのかもしれない。歳を取っても人間の行動基準は不変のようだ。




以前行ったことのない場所へ行くことにした。 大高森、富山、扇谷山、多聞山の景観は、それぞれ壮観、麗観、幽観、偉観とされ、「松島四大観」と称されている。新富山展望台というのが「北の富山」らしい。「麗観」を愛でてみる。


大きな地図で見る



城を形取った悪趣味な展望台の横を通り、瑞巌寺への分かれ道を右へ取ると坂道になる。
住宅街を通り抜けて、小高い丘の頂上に至る。




道々危惧していた事であるが、やはり海岸のホテル等の建物が景色を損ねている。


東屋の向こうに石碑があった。外人が松島を称えた文章を和訳してある。裏を見てみたが来歴等は記されていなかった。
ここで振り返ると、ようやく建物に損なわれない景色が見られた。






瑞巌寺は修理中だった。
参道の杉並木だけでも見事ものだ。 京都や奈良にも劣らない程の大きな寺だった記憶している。

並木の脇に大きな石碑があった。鉄道殉職者の碑だった。碑の両側には脇士のように機関車の動輪が2つ並んでいた。
背後の崖にいくつもの横穴がある。修行僧がここで寝起きしていたのだろうか。



瑞巌寺の隣は円通院で小堀遠州作の庭がある。
門から中を覗くとそれらしきものが見える。
写真を撮ってパス。 立ち去り際に、前もこんな風だったのかなとフトと思った。






JR全線完乗率 28.1%



HOME第3日目
inserted by FC2 system