北関東磐越のローカル線を巡る旅


第4日 
2009/03/25 弥彦〜長岡〜越後湯沢〜ガーラ湯沢〜渋川〜大前〜高崎



今日のスケジュールは出来が悪い。
ローカル線と化した上越線では、越後湯沢−水上間を走る列車が早朝を含めても4本しかない。その先にある吾妻線では、終点の一つ手前までは沢山便が有り、特急まで走っているのに、大前まで行く列車が4本しかない。このため途中の川原湯温泉で時間を潰してもなお、何もない渋川駅で1時間以上待たねばならない。その上出発直前にガーラ湯沢往復が入ってきた。宿泊地まで変えて何とか押し込んだが、1時間の乗り継ぎが更に2回増えた。


悪いことばかりではない。駅舎だけ瞥見するつもりの弥彦に泊まったので、弥彦駅を造らせる程の「越後一宮・名神大社 弥彦神社」とはどんな所か、早朝散歩がてらに行ってみた。

弥彦の温泉街を抜けると朱塗りの鳥居が目に入る。
脇柱が添えてあり、海中に建つ宮島の鳥居と形が似ている。弥彦山の向こうは日本海だから、海とも関係のある神社なのかも知れない。



鳥居をくぐると左手に朱塗りの太鼓橋に、立派な屋根が付いている。神様専用の橋らしい。


鬱蒼と茂る杉並木の参道を進み、左に曲がると石段の上に唐破風屋根の山門が現れる。

本殿は霊山・弥彦山を背景にしたシンメトリックな美しい建物だった。
地元の人が朝の参拝に来ている。こちらも清々しい気分になる。お賽銭をあげて手を合わした。


弥彦線は地方私鉄の越後鉄道が現在の越後線の支線として、弥彦から信越本線の東三条に向けて建設を進めていった。手水場がくっついてる駅舎は他に見たことがない。弥彦駅には単なる話題造り以上の意味が有ったのでないだろうか。

折り返しの電車が2両編成でやって来た。春休みなのに小学生が沢山乗るが、遠足に行くような服装ではない。小学校から補習をやっているのだろうか。



道路を跨いだ弥彦神社の大鳥居は、次の矢作駅を出たところにある。
大きさでは、かって千歳線で空港から札幌に向かう時に、右窓に見えた鳥居の方が大きかったと思う。
もっとも、あれはドライブインの客寄せだったが。



列車は2駅目の吉田駅までしか行かない。
弥彦線は弥彦−吉田、吉田−東三条の2区間に分断されている。東三条から先、越後長沢までの区間が在った時には3分割されていたのだろうか。

4日前に降りた燕三条駅で新幹線に乗り換える。
東三条行きの列車が信濃川の鉄橋を渡って去っていった。

新幹線には長岡までの一駅だけ乗る。新潟−燕三条、長岡−浦佐には一日目に乗っているので、これで新潟−浦佐間を乗ったことになる。3回に分けても、隣駅までの特別運賃なので割高にはならない。

2階建て新幹線の1階には懲りているので、2階席に乗った。3人掛けの真ん中しか空いていなかったが、両隣と肩が擦れ合って何かと窮屈である。ふと通路の向こうの席を見ると、そちらも3人掛けである。なんと上越新幹線の2階席は一列に6人も座らせているではないか。
身動きできないから、長岡が近づくと早々にデッキに向かった。ホームから指定席の2階を見ると誰も乗っていない。長岡ではかなりの人数が降りたが、グリーンでもないのに誰も乗っていないのは異常だ。
自由席に乗っていたのは新幹線通勤をしている人達ではないだろうか。定期代としては自由席分しか支給されない。自由席が混む。6人掛けでも、立つよりはまし。という訳で窮屈な車両が造られたのでないだろうか。しかし指定席では空気を運んでいる。車両の改造をしなくとも、通勤時間帯だけ自由席を増やす運用をすれば、定期客を捌けるのでないか。客にもJR東日本にもメリットがあると思うのだが。



先頭車両のデザインは空力抵抗のシミュレーションから生まれたのだろうが、こうしてドッキングをしている様はワニがキッスをしているようだ。


越後湯沢駅は、山の中に突然現れた巨人のような駅である。次々に観光バスが発着する。見上げれば谷の斜面には温泉ホテルの高層ビルが林立していた。

川端康成小説「雪国」の鄙びた温泉町のイメージは何処にもない。現代の駒子は、オートクチュールを纏って登場して来そうだ。

寒いので温泉街散策を止めて、待合室で高校野球を見て時間を潰す。
ウトウトしていたらしい。ガーラ湯沢行きの発車まで5分しかない。あわてて緑の窓口で切符を買う。乗車券140円に特急券が100円。100円の特急券は初めてだ。


操車場のような所を行き、僅か3分の乗車で終点ガーラ湯沢駅到着。席はガラガラだった。
季節開業の駅なのに新幹線の設備はフルに持っている。とても採算が合わないのではないだろうか。

駅前は直ぐ下を魚野川が流れており、崖になっている。「駅からスキーを履いて」の雰囲気ではない。それでも、時々スキー板を担いだ客が降りてくるからリフトまでは近いのだろう。


スキー場の無料シャトルバスで越後湯沢に戻る。
新幹線ホームの上がコンコースになっているから広い。これだけ土産物屋が出ている駅は他に無いのではないか。
奥に「cocolo湯沢」の看板が見える。
ここだけは屋台ではなく恒久的な造りになっている。

駅中に温泉があり、しかも酒が入っているという。話の種と暇つぶしに入ってみる。
帳場で貸しタオル込み800円の料金を払って、階段を数段上がると脱衣場になっている。
湯船は意外と大きい。街中の銭湯並みである。酒の香りが微かにするが、湯に浸かってしまえば気にならない。10時半からの開業で、2,3人しか入っていない。初めは少し熱く感じるが、冷えた身体が温まってくると丁度良い湯加減になってくる。後で湯冷めしないように何回も入った。皮膚の血行が良くなったような気がする。微量でもアルコール成分が肺から吸収される為ではないか。


12:00発の電車が入ってきた。漸く越後湯沢から出られる。
これから水上までの36分間が上越線のハイライトだ。
残念ながら始発列車ではないのでボックスシートの席は無い。2人掛けのロングシート?に座って、その都度ドアのガラス越しに景色を見ることにする。

清水トンネルは3つあって清水トンネルの他に、新清水トンネル、大清水トンネルがある。新清水トンネルは複線化の時に掘られた下り列車用のトンネル、大清水トンネルは新幹線用である。上り用の清水トンネルは前後に2つのトンネルを従えている。しかも2つ共ループ線になっている。

日本の鉄道にループ線は少ない。スイッチバックに比べて敷設に費用がかかるからでは無いだろうか。他には肥薩線の大畑−矢岳間、北陸本線の敦賀−新疋田間、それに土佐くろしお鉄道中村線の(若井駅)川奥信号場−荷稲駅間があるだけだ。
越後中里駅−(ループトンネル)−土樽駅−(清水トンネル)−土合駅−(ループトンネル)−湯桧曽駅という並びになっている。

越後中里駅を出ると、魚野川鉄橋を渡る。下り線が右に離れて行く。

右回りのループ線で勾配を登っていく。敦賀のループ線のように途中でトンネルが途切れるはずだ。左のドアに立って目を凝らしたが、立木に邪魔されて下り線は見えなかった。

入り口は別々だったが、トンネルを出たところで下り線と出遭う。
程なく、越後中里から7分で土樽駅に到着する。

土樽駅を出ると、鉄橋を渡りながら下り線が離れて行くという光景が再現された。



下り線のトンネルを確認すべく右のドアに身体を押しつけていると、こちらが清水トンネルに入る寸前で、下り線の新清水トンネルの標識と入り口が見えた。



「トンネルを抜けると雪国であった。 」の清水トンネルを抜けるのに約10分、土合駅に到着する。
下り線はまだトンネルを走っている。この向こうに462段の階段を持つ、下り線用の土合駅が地下にあるはずだが、入り口は見えない。



土合駅を出ると直ぐに、ループ線に向けてトンネルに入る。
今度は左回りなので右側のドアに立つ。
トンネルの切れ目で、今度は首尾良く、自分のこれから走る線路を真下に見ることが出来た。



程なく、湯桧曽駅到着。土合駅からは7分だった。

川端康成もこの線路を逆向きに走ったはずだ。下り線は存在しなかったし、興味がなければ「トンネルが幾つも続くなあ」程度の印象しか無かっただろう。実際に通ってみて、改めて創作の凄さを感じる。



吾妻線の起点渋川駅で1時間待つ。その間に特急が何本も通過していった。
吾妻線は終点の大前まで、ずっと利根川支流の吾妻川に沿って走る。あいにく天気が悪いが、祖母島からは峡谷に入り景色は非常によい。

吾妻線には日本一短いトンネルがある。岩島駅と川原湯温泉駅にある僅か7.5メートルの樽沢トンネルである。車両の1/3の長さしかないから、アッと言う間に通り過ぎてしまう。写真撮影を試みたが、カメラがセット出来る前に通り過ぎてしまって無惨な画像だけが残った。



吾妻線は新宿から特急「草津」も乗り入れている路線だが、殆どの列車は終点の一つ手前の万座・鹿沢口までしか行かない。渋川から大前まで行く列車は1日に3本しかない。
この列車も万座・鹿沢口行きなので、川原湯温泉駅で途中下車して、八ツ場(やんば)ダム建設で水没するという川原湯温泉を覗いてみることにした。
ダムが出来れば吾妻線も移動して、この駅も姿を消す。樽沢トンネルも水没はしないが、列車は通らなくなる。



温泉街入り口は駅の直ぐ近くにある。ここから緩い上り坂が続く。
「はて」と素朴な疑問が湧いて来た。
トンネルが水没しないのなら、それより高い位置にある温泉街がなんで移動しなければならないのか。



源頼朝が狩の折りに発見したという王湯。
共同浴場になっている。



移動後の温泉街の原泉となる予定の新原泉。
足湯が使える。

川原湯温泉駅にやってきた大前行きの電車を見てガッカリした。ここまで乗ってきたれのと違ってロングシートだった。
折り返しだからもこれから高崎に戻るまでずっとこの車両だ。対向する列車は総べてボックスシートだったから、本当にツイて無い。

草津温泉への入り口の長野原草津口付近。
上流へなのに川原湯温泉付近より開けた地形になっている。
工事もこちらの方が目立つ形で進められている。
環境保護団体でなくとも、ここまで自然・景観を破壊していいものかと思う。こんな山の中へ道路を造て交通の便は良くなっても、観光地としての価値が激減してしまう。



ようやくの事で終点大前駅に到着。
無人駅で駅舎も見あたらないが、運転手と車掌は折り返しまでどこかへ消えていった。
もう1人折り返しを待っているが、盛んに写真を撮っているので「同好の士」だろう。



雨は霙となり、霙はいつしか雪に変わっていた。
ここらは高原野菜で有名な嬬恋村だが、畑はまだ奥の方らしい。



高崎のホテル1−2−3高崎に投宿。新しくできたホテルで大浴場もある。
近くの居酒屋で焼きトン(関東ではヤキトリと称する。詐称だが。)を試食する。 元が大きいだけに肉がでかい。6本頼んだら、それだけで腹がふくれてしまった。 スナギモはチャンとそれらしい食感がした。トンにも砂袋があるのだろうか。





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