九州完乗を目ざす旅


計画
昨年の12月に続いての九州遠征。
熊本の「通潤橋」と大分の日本一美しい滝の「白水の滝」をどうしても見たいので、途中で1日ドライブする事にした。周辺にある熊本や竹田のアーチ石橋も加える。
筑豊地方の旧炭鉱線群は次の機会にするつもりでいたが、もう1日追加すると九州完乗できる事が判った。九州ゾーン切符5日+青春18切符1日の6日の旅となった。

1日目(赤線)小倉−折尾−新飯塚−田川伊田−日田−久留米−原田(はるだ)−桂川(けいせん)−宇美−香椎−博多
 この日は青春18切符を使って筑豊本線と日田彦山線の前回乗り残し分や香椎線に乗る。
2日目(水色)博多−大分−長崎
 若松−戸畑間は渡船に乗ってみる予定。ここは大阪と違って料金が居る。久大本線で九州を横断して長崎にはいるが、諫早で各停に乗り換えて海岸沿いの旧線を走る。

3日目(青色)長崎−佐世保−博多−唐津−伊万里−熊本
前回パスした長崎に入る。筑肥線の博多−姪浜間はJRから福岡市営地下鉄になった。地下鉄建設→JR廃線なので単なる相互乗り入れではない。また松浦線が3セク線になったので伊万里が盲腸線の終点になっている。

4日目(緑色) 車で熊本から豊後竹田まで行く。

5日目(橙色) 今日は日南線(宮崎−志布志)に乗るだけ。乗車距離の大半を占める大分−宮崎間は昨年に乗っている。志布志から都城までは路線バスを使用する。

6日目(紫色)この日は忙しい。都城から吉松経由で鹿児島中央へ行き、新幹線と並行しているのにJRが残した鹿児島中央−川内と九州新幹線(鹿児島−新八代)に乗る。九州新幹線は来年末に博多−新八代間が開通し鹿児島と繋がる。それまで待っても良いが、とりあえず九州だけ完乗しておきたかった。
一気に九州を縦断して博多に戻り、博多−博多南間の新幹線運用在来区間に乗る。越後湯沢−ガーラ湯沢間と同様新幹線が在来線として運行している。ここも九州新幹線開通の暁には、新幹線区間として乗ることが出来るが、変則運用の今乗っておきたい。

九州ゾーン切符2回でJRは完乗するが、3セク線は殆ど残っている。JR全線完乗した後でもう一度乗りに来ることになるだろう。





第2日目第3日目第4日目その1第4日目その2第5日目


第1日 
2009/04/09

新大阪〜小倉〜新飯塚〜田川後藤寺〜田川伊田〜日田〜久留米〜原田〜桂川〜長者原〜宇美〜香椎〜博多




今日1日で13本の列車に乗る。
山陽新幹線は、いつも帰りに暗闇の中を走るだけだったが、久しぶりに景色が見られる。
東海道線と違って景色の記憶が余りない。視界を遮る防音壁が頻繁に現れるせいかもしれない。

広島では、カープの新球場が新幹線の高架から見えた。

小倉で在来線に乗り換える。
今日は折尾から筑豊本線に入り、後藤寺線を経て田川伊田へ。日田彦山線を通って日田から久大本線。久留米で鹿児島本線に出て、原田から再び筑豊本線に入り、最後は香椎線に乗るというスケジュールになっている。小倉から特急で1時間で行ける博多に、1日かかって辿り着こうというわけだ。

小倉から乗った鹿児島本線の列車は、折尾から直通で筑豊本線へ入る。
折尾通過には少し問題があった。鹿児島本線からは折尾駅を通過せずに筑豊本線へ進入できるバイパス線がある。折尾駅を通過するのと、しないのとではルートが異なる。両方のルートに乗らないと完乗にならないとう議論も出来る。しかし、こんなケースは他にも幾らでもあり、全部をチェック仕切れるかどうか判らない。私はJRの時刻表をベースと決めた。ここに載っている経路の総べてに乗る事を完乗の定義とした。
折尾には直通路上に新しい「ホーム」(新しい駅ではない)ができている。時刻表の欄外に、従来の折尾駅のホームとは150メートル程離れているという注意書きがある。つまり時刻表で見る限り総ての列車が折尾駅を通過するわけで、本線で乗り換えを行ってもバイパスに乗っても同じ経路に乗ったことになる。

直通線路のカーブの真ん中に私鉄の駅のような、そのホームはあった。本来の折尾駅は見えない。隣に座ったお婆さんに聞くと、元の折尾駅は「本駅」と言って区別しているそうだ。
このお婆さん、小柄だかシャキシャキしてとても90才に見えなかった。

筑豊本線は複線電化だが、線路と線路の間隔が広い。複々線だったのではないだろうか。
筑豊炭鉱が動いていた頃は、石炭を満載した貨物列車が頻繁に行き交っていたのだろう。
現在の沿線は福岡のベッドタウンになっているようで、桂川で篠栗線に繋いで博多に至る経路は列車の便が多い。




中間駅を出ると列車は遠賀川を渡る。

線路を撤去された煉瓦造りの橋脚がある。
明治41年複線化時の橋脚だ。
更に手前側に明治24年開通時(初代)の橋脚が接していたが、こちらは切除されている。


新飯塚から後藤寺線に乗り換える。
昨年も乗った単行ワンマンカーで、この後も何度かお世話になる。
新飯塚を出て暫くすると、ボタ山の3連山が見えてくる。

後藤寺からは日田彦山線で夜明けに向かうべしなのだが、反対方向に一駅行った伊田へ向かう。
同じ筑豊本線なのに原田−桂川間は列車本数が少ない上、接続が悪い。時間調整を兼ねて、伊田の石炭記念公園へ行ってみようと思う。


昨年伊田駅を通過したときは、放置された鉄道設備が真っ赤に錆びて痛々しかった。
それらはすっかり取り片付けられて、大きく開いた線路の間には色とりどりの花が、のどかな春の陽を浴びている。


線路下の通路を潜って、駅の反対側へ出ると石炭記念公園がある。
小高い丘の上にある公園からは、頂部を削り取られた香春三山の一ノ山がよく見渡せる。



ここには、「あんまぁーり、エントツぅーが高いので、さぁぞおや、お月さんもけむたかぁーろ」と炭鉱節に歌われた田川の2本煙突と竪坑櫓が展示されている。

復元された炭住や展示館もあり、世界遺産を目指しているようだが、これだけではちょっとと素人目にも思われる。


炭鉱夫の像がある。リアルな表情をした像である。

像の脇には筑豊じん肺訴訟の碑が置かれていた。急速な閉山の後に元炭鉱夫達を待っていたのはじん肺であった。「オレたちは、ボタじゃなか」と言う言葉が胸を打つ。


伊田から後藤寺に一駅戻って、日田行きに乗り換える。日田彦山線は後藤寺で小倉−後藤寺と後藤寺−夜明けの2区間に分割して運行されている。そのため伊田から同じ方向なのに、一駅で別列車に乗り換えねばならない。昔のように路線単位ではなくて、利用実態に即してダイヤが決定されている。




日田彦山線宝珠山駅(ほうじゅやま)はプラットホームが県境をまたいでいる駅である。ホームの3分の1は大分県、残りは福岡県にある。
改修されているが、昭和12年彦山線開業当時の面影を残した木造駅舎である。

日田彦山線と久大本線の接続駅は夜明駅だが、列車は総べて日田まで行く。
日田は水郷として有名で、夏には筑後川(ここでは三隈川(みくまがわ)と呼ばれる)で鵜飼いが行われる。
日田の街を少し散策してみる。


駅から三隅川に向かって真っ直ぐに歩いき、亀山(きざん)公園に行った。
古墳跡であり、安土桃山時代の城跡でもあるという。


岸には、艀を並べた上に部屋を載せた屋形船が何艘も係留されている。
日暮れと共に河に漕ぎだして、一杯やるという趣向と見うけられる。

柳の大木がお寺の塀を破って伸びている。
何かゆったりしたモノを感じる。
次に来たときには一泊して温泉にも入ろう等と思いながら、一時間余りの散策を終えて日田駅に戻った。



「夜明」の名前に引かれて、列車交換の時間を利用して降りてみた。
周りを山で囲まれてた小さな耕地があるだけの所で、駅の下には筑後川が流れている。
久大本線と日田彦山線の分岐駅だが駅員はいない。簡易依託駅だが駅の周りに家はなく、切符を販売している商店までは坂を下りて行かねばならない。

元は、焼畑開墾地であることから夜焼(よやけ)と呼ばれていたが、焼けるのは縁起が悪いというので転訛して夜明けになったらしい。

山峡の長閑な駅で、運転手も駅舎の陰で一服やっていいた。



夜明けダムを過ぎると筑後川の水位が急に下がる。
渡河する橋梁から沈下橋が見える。


久留米で鹿児島本線の列車に乗り換え原田へ向かう。
今日のスケジュールは原田−桂川間がキーとなっている。

筑豊本線は桂川まで博多から篠栗線が乗り入れているので、桂川−折尾間は頻繁に列車がある。ところが原田−桂川間へは筑豊本線の列車が直通運転せず、別の路線のような運行なっている。接続が悪くて前回は放棄していた。
今回は伊田の石炭公園や日田で時間調整した。ようやく原田−桂川に乗り入れられる。

筑豊本線は原田駅の0番ホームから発着する。原田−桂川間は原田線と呼ばれている。 本線なのに0番ホームとは奇異な感じがするが、やって来た列車を見て納得した。 「原田線」は非電化単線なのだ。


原田駅の周りは小綺麗な住宅が並んでいたが、直ぐに山間に入り駅間距離が長くなる。沿線の人口は少ない。

原田の次の筑前山家駅では、使用されなくなった交換線に木が繁っていた。



30分程で桂川到着。
原田線からは高校生、篠栗線からはスーツ姿のサラリーマンがはき出された。

山の縁が赤く染まりはじめた。
本日の目標を達成した感があるが、まだもう一線残っている。

篠栗線の博多行きに乗って、長者原で香椎線に乗り換える。
香椎線の長者原駅は篠栗線と立体交差していた。
先輩の香椎線が、逆に後輩の篠栗線を跨ぐ恰好になっている。一線しか上げてないので駅での列車交換はできない。ホームの両方から列車がやってくる。

「時刻表2万キロ」には、立体交差駅に折尾、京橋、尼崎(現在は消滅)、秋葉原と武蔵野線の3駅しかないとある。ここは開線当初から立体交差だったのではなく、最近になって線路が付け換えられたことになる。篠栗線の運行が頻繁になり、平面交差では対応しきれなくなったのだろか。

帰宅後調べてみると、
立体交差は「時刻表2万キロ」の以前からあったが、当時の長者原駅(2代目)は香椎線上にあった。JRになってから立体交差の上に3代目の長者春駅が出来た。



篠栗線同様、香椎線沿線も博多のベッドタウンになっているようで、旧式のディーゼルカーは満員だった。
須恵器が多く出土したのだろうか、須恵や須恵中央という駅を通過して18分で終点宇美に到着。
反対側のホームは撤去されて?、線路からすぐ道路に出られる。



改札を出て宇美駅を眺める。朱色の柱や梁がよく目立つデザインで、昨年行った宇佐駅とよく似ている。

観光案内図によると、徒歩10分の所に宇美八幡宮があり、神功皇后が応神天皇を出産したとある。宇佐八幡宮は神功皇后、応神天皇も天照大神を祀る全国の八幡宮の総元締めである。

宇美とは「産み」であったのかと納得する。
しからば同じ「宇」を当てる宇佐は何を意味するのだろうか。



博多へ出て、ルートイン博多駅前に投宿。
外へ出るのが面倒になったので、ホテルの地下にある居酒屋で夕食を摂った。 ネクタイをした人が外から入ってくる。宿泊客以外に、地の人が使うと言う事はアタリの店なのだろう。





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