みちのくフリー切符で行く北東北3県の旅
第4日
2009/05/17 宮古〜茂市〜岩泉〜宮古〜花巻〜北上〜一関〜盛〜釜石〜宮古
JR宮古駅と並んで三陸鉄道の宮古駅がある。
名目上の本社は岩手にあるが実質的にはここが本社機能を果たしている。国鉄が赤字ローカル線を切り捨てようとした時、最初に第三セクターの鉄道会社として名乗りを挙げたのが三陸鉄道だった。
第三セクターに共通した、カラフルな車両、お洒落れな駅舎、ニックネーム付きの駅名はここから始まった。
今年は25周年だという。国鉄が無くなってから、もう25年が経ったのかと思う。
生憎の雨模様だが、今日は1日列車に乗っているだけなので気にならない。
今日の口開けは岩泉線である。全線を走る列車が、朝1往復と夕方2往復しかない超難関区間である。
終点の岩泉駅は龍泉洞という鍾乳洞に近いが、観光客は盛岡か海岸沿いの小本からバスでやってくる。
計画では、山田線を宮古から盛岡に少し戻った所にある、茂市から岩泉を通って小本に至るはずだった。その後、岩泉以降は未着工のまま、全線廃止ローカル線の指定を受けた。
盛岡側や釜石側からこの線に乗ろうとしても、山田線自身が全線を走る列車が1日4往復と少なくて、日のある間に乗るのが難しい。結局、宮古に前泊して早朝の列車を捕まえた。
茂市で山田線から岩泉線に乗り換える。茂市でタブレットを手渡しているのが見えた。3セク線では時折見られる風景だが、JRでまだ残っている区間があるとは知らなかった。
列車は山田線より更に山深い所を走る。
線路際は時折廃屋が見えるばかりで、沿線から人の営みが消えてしまったように見える。
押角峠を長いトンネルで抜けると、分水嶺を越えて川の流れが変わった。
小本川となって太平洋に注いでいるのだろう。川の中州から糸を垂れる釣り人がいた。
浅内駅には蒸気時代の給水塔が残っていた。
車内を見渡しても他に乗客はいない。岩泉の3つ手前でやっと高校生が乗って来た。岩泉で何か運動の大会があるらしく、降りる時にホームにいる人から「頑張れよ」と声をかけられていた。
全線無人駅だが、岩泉駅は思ったより立派な建物だった。これ程の駅舎に見合う乗客が居るのかと思う。小本まで通じて初めて用をなすのではないか。もっとも小本も今では三セクの三陸鉄道しか走っていないが。
宮古に戻って、花巻廻り盛岡行きの快速列車に乗る。回転式リクライニングで、3両編成のうち1両は座席指定車だった。指定車は空気を運ぶだけになるのだろう。
車掌が、女性客に山田線経由の盛岡行きへの乗車を勧めていた。この列車も盛岡行きだが、釜石、花巻を経由するから宮古−釜石、花巻−盛岡という余分な路線を走り、時間もかかる。かっての盛岡発盛岡行き程ではないが、循環列車の名残のような運用をしている。
シートは列車の進行方向とは逆向きにセットされている。釜石で進行方向が変わる為なのだろう。この旅では、以後も秋田新幹線の大曲−秋田間、弘前発の八戸行き特急で弘前−青森間でも逆向き走行を経験した。レールがそれぞれ独立して敷設されて来た歴史に思いを巡らせる。
陸中大橋のヘアピンカーブ。
ループ線ではないが、山腹を180度回るので、乗ってきた線路が眼下に見える。
駅弁の朝食を済まして、ついウトウトしたらしい、駅を撮るタイミングを失してしまった。
気温が高いせいか、水蒸気が地上から山に昇る。
この地方を走っていると、城のように見える家をよく見かける。入母屋の二階建てで、破風を大きく取っている為そんな印象を与えるようだ。山陰の瓦葺きの家では、鯱のような鬼瓦が多いが、ここの鬼瓦は普通だった。
花巻で東北本線の上りに乗り換え、北上から一関までは新幹線に乗る。
一関から再び北上山地に分け入る。ここまで下ってくると、なだらかな山裾なので、田畑の中を走る。大船渡線のナベヅル区間は、うつらうつらする内に通り過ぎてしまった。2月にも通っているので気が緩む。
気仙沼駅で快速「こがねふかひれ」号を見つけた。
観光シーズンに気仙沼−仙台間を走っている。
この辺りでよく見かけるが乗れたことはない。指定席券だけで乗れる特別車両で、果たして採算が取れるのだろうかといつも思う。
盛から、いよいよ三陸鉄道に乗る。2両編成の後ろの車両がレトロで面白そうだったが、団体貸切り専用の列車だった。
盛−釜石間の南リアス線は、思ったほどのトンネル線ではなかった。山田線の宮古−釜石間と同程度に、眼下に入り江の奥の集落が見える。
本日2度目の釜石駅に到着。もう一度ゆっくりと見渡してみるが、矢張り高炉は無い。本当に取り壊されてしまった。辺りを睥睨していた高炉だが、見慣れたものが風景から消えてしまうのは淋しい。
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