大人の休日倶楽部パスで、中部・北関東・南東北7泊8日の旅
計画

赤の線が既に乗った路線で、青が未乗の部分。北海道と九州は完乗。
今回ターゲットは緑の円内にある南東北エリアの乗り潰し。それに加えてオレンジ色の中部エリア内で未乗の路線を行き帰りに乗ってしまおうという計画。
今回用意した特急券は18枚。最初からこんなに用意するのは初めてだ。
秋田の手前まで汽車で行って帰る大旅行になった。乗り潰す地域は宮城、山形、福島の南東北3県だが、その途中にある東北、上越、長野の新幹線と常磐線、水郡線に完乗する。本来なら仙台へ飛行機で飛ぶ筈の地域にJRで往復のは、JR東日本が出している「大人の休日倶楽部パス」があったからだ。なんせ3日間、1日4000円で新幹線を含めて特急が乗り放題、おまけに指定も6列車まで取れると言うのだから太っ腹な事だ。同様な切符はJR西日本にも無いことはないが、こちらは1日9000円でしかも2人以上でないと使えない。
大人の休日倶楽部パスは他社から脅威に見られているのだろう。使用者は50歳以上、前日までにJR東日本のみどりの窓口で買うという縛りがある。域外の人間は、別途JR東日本の域内に入って購入する必要がある。私は前回「南紀周りで新潟へ各駅停車で日本縦断の旅」で岡谷駅と長岡駅で買っておいた。


地図が遂に2枚になってしまった。
南東北3県のJRと3セク線総てに加えて、以前乗り残している由利高原鉄道と越後線の2路線に乗らないといけない。
大人の休日倶楽部パス2枚で6日間の旅程、更に「大人の休日倶楽部パス」が通用するゾーンに入る際にも、行きは高山本線、帰りは身延線をクリアーするから、合計8日間の旅になる。
1日目は、富山まで時間的余裕があるので、大垣で途中下車して3セク線の樽見線に乗る。
2日目は、富山から燕三条まで行き、上越新幹線と東北新幹線を乗り継いで一気に一関まで行って、在来線で福島まで戻るというクレイジーな長距離移動の日。
3日目は、福島から「さくらんぼ東根」までの奥羽本線の未乗区間と、左沢線、山形鉄道。
4日目は、仙山線、米坂線と乗って、日本海岸を羽越本線で北上して羽後本荘まで行く。ここで以前乗り残していた3セク線の由利高原鉄道に乗る。
5日目は、酒田から陸羽西線・陸羽東線と乗り継いで列島を横断。女川を目指す。
6日目は、水郡線で水戸まで行って、常磐線・磐越東線で引き返すというアホらしい行程。
7日目は、水戸−上野と常磐線を完乗する。長野新幹線で長野に向かうが、軽井沢で途中下車して軽井沢−小諸間の「しなの鉄道」の未乗区間に乗る。
8日目は、甲府からワイドビューふじかわで見延線完乗。帰途名古屋で途中下車して犬山城と明治村の観光。1日1往復だけ運転されている大阪まで行くワイドビューしなので帰阪する。
第1日 その1
2009/11/09 天王寺〜大垣〜樽見〜大垣〜岐阜〜富山

35年間通い続けた通勤路線を特急で駆け抜けるのは思ったより気持ちが良かった。それで先月に続いて天王寺−新大阪駅間は「はるか」に乗った。
上りと下りでは使う線路が違うようで、西九条ではプラットホームの間を抜けるのではなくて初めから西端の貨物線に入っていった。
梅田スカイビルの真横を通れるのは、この線しかない。
大垣で時間を取って樽見鉄道に乗る。3セク線だが元は国鉄なので乗れる機会に乗っておく。一応JR単独での完乗を目標としているが、国鉄絡みの3セク線(元国鉄線や国鉄として建設が進められた線)も完乗しないと本当の意味での完乗にはならないと考えている。
大垣を出ても暫くは東海道線と平行に走る。揖斐川の鉄橋を渡ると左に曲がって直ぐに最初の駅東大垣に着く。ここから先は右を見ても左を見ても、大垣は大柿ではないかと思うほど柿が多い。沿線は富有柿の一大生産地である。
時刻表には1本の列車で終点樽見まで行くようにな記載されているが、本巣駅で乗り換えがある。車両基地と樽見鉄道の本社が置かれている。
谷汲口の駅に古い客車が置かれていた。国鉄樽見線時代のものだろうか。ここから「谷汲さん」の愛称で親しまれている「谷汲山華厳寺」行きのバスに連絡している。ここは西国三十三番札所、結願の寺である。
「突然、対岸の斜面の樹間から赤一両・緑一両のこぢんまりした二両連結が現れ、こちらと平行して走り出した。私は狐火でも見たようにはっとしたが、これは名古屋鉄道谷汲線に紛れもない。暗緑色に翳った樹林に隠顕する二両の配色が絶妙で、名鉄というと赤いパノラマカーを思い浮かべてしまうが、こんな電車を山間に走らせていたのかと感心した。」(時刻表2万キロ)
国鉄樽見線は3セクとして生き残ったが、平行して走っていた谷汲線は2001年廃線になった。
神海到着。国鉄時代は美濃神海と称し樽見線の終点だった。樽見線の由来となった樽見まで到達できずに廃線となる運命だったが、地元の住友セメントや西濃鉄道の出資により3セク線として蘇った。その辺りの経緯は「線路のない時刻表」に詳しい。この本は廃線の運命にあったローカル線、智頭線、北越北線、三陸縦貫線、樽見線、宿毛線を取り上げてルポしているが、何と全路線が3セク線として計画工事完了(宿毛線以外)の上、全線開通となった。
現在大株主の住友セメントが貨車輸送を廃止し、再び暗雲がたれ込めている。
列車(と言っても一両しかないが)は揖斐川の支流根尾川の渓谷に分け入っていく。
新線らしく川の蛇行を無視するようにトンネルと鉄橋で直進する。
切り立った渓谷に紅葉が映える。なかなかの景観で根尾峡とでも名付けたい。
水鳥(みどり)駅近くを濃尾地震の時にできた断層が走っている。
高さ4メートル長さ400メートルというから目に付かないはずはない。ピラミッド型をした地震断層記念館に続いて築堤のようなモノが見えた。これがそうかと思うが確信はない。

勾配がきつくなってきたところで終点樽見到着。



思ったより開けている。山裾に薄墨桜が遠望できる。運転手に尋ねると歩いて15分くらいという。折返しの間にちょっと行ってくる訳にはいかないようだ。
高台にある駅から右下に「住吉屋」の看板が見える。
「戦争中にも工事が中止になりましたし、戦後も、つくりかけてはやめして、それでいて、だんだんこっちへ伸びてくるんです。そういう線なんですのよ、樽見線ってのは。おかしな鉄道」そう言って、女主人は、また笑った。
(線路のない時刻表−「断層のある村で」)
【後日談】
「住吉屋」の女将は亡くなっていた。
つい先日、樽見へ行き、住吉屋へ立ち寄った。(中略)という見事な哲学を開陳したおかみさんの旅館である。けれども、七年前に亡くなった由。樽見鉄道開通後なのが、せめてもの慰めと言うしかない。
(「線路のない時刻表 全線開通版」あとがき)
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