消えゆく「はやぶさ」の個室寝台で九州へ


計画
ブルートレイン開始時から走ってきた「はやぶさ」が、来年3月で廃止になる。

これが無くなると、大阪から乗れる寝台列車はトワイライトと日本海だけになる(サンライズ瀬戸・出雲の「帰り」で大阪−東京間の寝台特急利用はあるが)。 トワイライトは発売の瞬間に売り切れてしまうし、日本海は今年春から1往復に減便された時から個室寝台が無くなった。 0系新幹線程では無いにしても、間際になるとA,B一両づつしかない個室寝台の切符が入手困難になるだろう。少し寒くなってきたが、最後の九州ブルートレインに乗ることにした。
夜行といっても、大阪発は深夜の1時8分。6時に起こされたのでは堪らないのでB個室寝台にした。個室寝台といっても、最廉価のB寝台と同じ料金で乗れる。 どの列車もこの切符から無くなるのは当然だろう。

終着駅の熊本まで乗り、後は九州ゾーン切符で鹿児島-宮崎-大分-熊本-福岡と回る。 肥薩線の矢岳の絶景、豊肥本線−南阿蘇鉄道の白川橋梁、指宿枕崎線と九州ローカルの車窓を眺めてくる。時間があれば、旧佐賀線の昇開橋や筑豊本線のボタ山も見ておきたい。

南九州に偏っているが、久大本線は近寄れない。 一番最近に九州へ旅行したのは大学生の時だった。母と妹の3人で湯布院へ行った。その時、虫の居所が悪かったのか、旅行中しょっちゅう母に八つ当たりしていた。それに懲りたのか、以来母と旅行する事は無かった。年を取ってから、その事を母に謝ろうと思っていたが、その機会が無い間に母は亡くなってしまった。 湯布院や耶馬溪は慚愧の念が強くて近寄れない。





第1日目その2第2日目第3日目第4日目


第1日 その1
2008/12/02 深夜大阪駅を発つ
12月2日。0時過ぎても環状線はまだ2本在るが、どのホームにも乗客らしき人の姿はない。

我が「はやぶさ・富士」が入線するも、深夜のためアナウンス無し。



A個室は天井までフルに占有しているが、B個室は 『 の部屋と 』の部屋で一対になっている。私の部屋は偶数番号なので 『 だ。


 
ドアを開けるとすぐ階段になっている。頭がつかえる狭さだが、絵さえ飾ってある個室だ。
B寝台でもユカタとハンガーがあった。3段式のB寝台では何もなかったなあ。寝台列車でユカタがあったのは、出張で「銀河」のA寝台に乗ったときだけだった。


寝ながら車窓の風景を眺められる心地よさ。


下関で機関車交換。早速マニアが撮影に駆け寄る。


「朝日」の腕章を付けたスタッフも来ている。 最終日は混雑が予想されるので、予め写真を撮っておいて差し替えるのだろう。

後日asahi.comに出ていた。最後の九州ブルートレイン「はやぶさ」という特集を組んでいる。
その(4)ベッドメイキング〜眠る関西 静岡−大阪編で

1時6分、いよいよ今夜最後の停車駅、大阪に到着。他の路線はすべて終電が出た後、ホームは閑散としている。ホームの案内板に「中国・九州方面」とあるが、現在大阪駅から九州へ向かう列車はこの1本のみ。廃止された後は、どうなるのだろうか。 遠くの車両に誰かが乗り込んだ。今晩一番最後の乗客かもしれない。終電まで梅田で飲んで、列車で寝てるうちに家に帰ろう……そんな客だろうかと想像する。東京を出てすでに7時間。さまざまな客を乗せて、「はやぶさ」は夜を走る。』

とあった。

大阪駅で乗り込んだのは一人だけだったから、私のことなのだろう。
「終電まで梅田で飲んで、列車で寝てるうちに家に帰ろう……そんな客だろうかと想像する。」 次に停まるのは広島だ。そんなところまで酔客が帰る訳なかろうが。

記事のその他の箇所より
冷水器から折りたたみコップで違和感なく飲んだが、「たたまれた紙コップを開いて使う冷水器など、最近の電車では見なくなったものだらけだ。」とある。そうなのか。新幹線も折りたたみコップだったけど、何時からか小さなコップが出てくるようになったなあ。



ヘッドマークは「はやぶさ・富士」連結用に作られたものだった。


機関車が無くなると、「はやぶさ」の専用マークが現れた。



「はやぶさ」の機関車は去って行き、関門トンネル用の機関車が付けられる。



門司で「富士」を切り離すと共に、再び機関車が交換される。
JR九州の機関車はブルーではなかった





HOME第1日目その2
inserted by FC2 system