ミニトリップ(2) 超格安切符で、奈良、和歌山日帰り旅行


2009/1/29 天王寺〜久宝寺〜放出〜木津〜奈良〜高田〜和歌山



天王寺で120円の切符を購入して関西線で久宝寺へ。
遅ればせながら「おおさか東線」に初乗車。
ちゃんと放出(はなてん)方面への案内が出ている。



10:41発の列車が、6両編成でホーム端の待避線から入線。どこと言って変わりのない、一世代前のJR「標準」の電車だった。
俊徳道と河内永和で近鉄線と交差。新線なのに、おおさか東線が近鉄の下をくぐっている。元々貨物線が通っていてこっちが先輩だったのを、旅客扱いにしたようだ。

10:55放出到着。この難読駅の駅標を撮っておきたかったが、1分で接続する片町線の木津行き快速が出そうだったので、慌てて乗車。

片町線に乗ったのは随分昔だ。 春団治が得意にしている、落語の「野崎参り」とはどんな寺か見に行ったことがある。 「野崎参りは舟で参ろう」という割には、細い川しか流れていなかった。 寺もそれほど大きくはない。地元の子供が遊んでいる普通のお寺だった。 この列車は野崎には停まらない。目を凝らしてみていたが、野崎観音への直線の参道がチラリと見えただけだった。

すでに生駒山地が間近に来ている。山地の裾をグルリと回るようにして通過。



京都府へ入って一つ目の駅、松井山手で運転停車。ここからから単線になるようだ。この列車も各駅停車になる。
ドアが、中央の一つを除いて閉まってしまう。 この列車には、ローカル線でよく見掛けるドアを開閉するボタンが着いている。 北新地を通るロングシートの列車に、こんなものが着いているとは愉快ではないか。

京田辺から近鉄が平行して走るようになる。 同志社停車。周りに何もない駅だ。さぞ勉強がはかどる事だろう? 学生が大量に下車して、車内が閑散としてきた。

西木津の手前で、やっと近鉄が片町線の上を越えて消えていった。

終点木津到着。すぐに折り返し列車となる。

プラットホームの木造屋根の木組みが昔風だ。小学校で廊下を見上げると、こんな木組みが剥き出しになっていた。



乗ってきた片町線の列車が左へ曲がりながら消えていくと、右から関西線の快速が入ってきた。その間が奈良線になる。
この駅は、片町線、奈良線、関西線が交差する交通の要所だが、3本とも単線なので、1本の線と待避線にしか見えない。


木津から一駅で、京都府から奈良県へ入る。
先に来た奈良線の「みやこ路快速」をパスして、関西線の「大和路快速」に乗ったのは、この駅標を撮撮っておきたかったからだ。
比較的新しい駅だが、平井康三郎作曲の「平城山」という歌が無かったら、超難読駅になっていただろう。よくぞこのような古語を、駅名に持ち出してきたものだと思う。
また、バブルの時にここへ会社の研究所を移設する話があった。実現していたら、毎日ここまで通勤して来なければならない所だった。

奈良は高架駅となり、瓦葺き2階建てで寺院のような旧駅は宝輪が乗った屋根だけが見える。

ホームの売店で巻き寿司を買って昼食にする。

これから乗る桜井線の一番ホームだけは、まだ地上にある。
現在建設中の駅増築が終わればここも高架へ移る。



入線してきた12:37の桜井線・和歌山線経由の和歌山行きは、2両編成の古ぼけたロングシート、ワンマンカーだった。
この列車と、これから3時間付き合うことになる。


奈良の次の駅「京終」は「きょうばて」と読む。都の果てという意味なのだろう。
列車は家の裏庭を縫うようにして走る。規格的な建て売り住宅が並び、寒々しい風景が続く。






「帯解」とは、なんとも艶っぽい駅名だと思ったら、安産祈願のお寺の名だった。

国鉄で駅長を務めた上月木代次という人が「駅名美学」という、駅名に関する蘊蓄を傾けた本を書いている。
その中で「帯解ば老人ばかりかわいそう」という駅名を使った川柳を読んでいる。
帯解(おびとけ)芭露(ばろう)陣場(じんば)狩川(かりかわ)石生(いそう)と、助詞も含めて全て駅名から成っている。芭露駅だけは廃線となった湧網線だが、他は全て現役の駅名だ。古い本だが、大阪市の図書館に蔵書されている。

これも読みの難しい、巻向(まきむく)を過ぎると、「香久山」「畝傍」と続く。平行している近鉄には「耳成」がある。由来となった大和三山はどこにと、見回してみたが判らない。

ほどなく桜井線の終点「大和高田」に到着。
接続しているJR難波行き快速に乗れば、和歌山線の始点「王寺」へ行けるが、同じ箇所を重複して乗る事は出来ないので、反対方向の電車に乗り換えて和歌山線を走る。


吉野口では、向かいのホームに近鉄あべの橋行きが待っている。 JRと3セク線の間は厳しく区分けされているのに、ここは行け行けになっている。
これに乗れば直ぐに家まで帰れるが。

五条駅は立派な駅で、何本もの側線を従えている。2両編成の列車にはもつたいない。
ここから新宮まで「五新線」が建設されていた。大台ヶ原方面へドライブしたら、山腹にトンネルの口だけがポッカリ空いている。紀勢線が艦砲射撃でやられた場合の、全線補給路の意味合いもあったようだ。弾丸列車でも走らせるかのような、真っ直ぐな線路が山の中を走っている。一時は国鉄バス専用道路として使われていたようだが、廃止になったような気がする。


大和二見を過ぎると奈良県から和歌山県へ入る。
県境の特徴や如何にと見ていると、隅田(すだ)の手前でいきなり紀ノ川が現れた。


橋本で今度は南海と接続する。ここも吉野口と同じように駅の中は行け行けになっている。
南海電車が一両だけで、路地の間をすり抜けて行った。南海高野線は、この橋本から単線になっている。


他社線との間がこんな緩くて大丈夫かと思っていたら、検札が来たが、ちゃんと通過した。



和歌山線は紀ノ川の河岸段丘を走るが、川から離れているので景色は良くない。
辛うじて西笠田の駅で紀ノ川と「接触」するが、また直ぐに離れていく。


岩出と船戸の間に大きな堰があった。紀ノ川は、ここから北へ去り、列車は西へ直進する。



15:33の定刻より、やや遅れて和歌山駅到着。
自動音声案内の為、乗り換えアナウンスが無い。辛うじて15:35発の大阪行き快速に間に合った。


今日は「天王寺から120円区間」の切符でこれだけ乗った。しかし決してただ乗りではない。正規の乗車で、検札もチャンとパスした。

例えば大阪から岡山に行くのに、山陽本線経由か赤穂線経由かとは、いちいち聞かない。最短経路で発売されるし、赤穂線に乗っても構わない。但し途中下車するには、キチンと経由線を決めておかねばならない。「選択乗車」という制度で、国鉄時代からある。
その上で、複雑に線路が絡み合っている大都市近郊では、「選択乗車」できるルートがゾーンとして定められており、時刻表の巻末に東京、大阪、福岡、新潟の4区域が掲載されている。

今日乗った、天王寺、久宝寺、放出、木津、奈良、桜井、高田、和歌山というルートは、選択乗車のゾーン内に収まっている。途中下車さえしなければ(駅構内から出なければ)、最短距離の運賃で今日のようなルートが乗れる。「乗り鉄」の間では大回りと呼ばれている。
但し、乗車経路が重複してはならないと言う制約があり、高田−王寺を往復して和歌山線の全線を乗り切ることはできなかった。

東京ではもっと広くて、西は熱海、北は高崎、東は日光、南は千葉の先の君津がスッポリ収まっている。広すぎて外周を1日で回るのは不可能だろうが。

但しこのまま天王寺の改札を出るには、乗車駅と降車駅が同じという別の問題がある。
答えは直ぐに出てくると思うので・・・・・。


おおさか東線、桜井線完乗。片町線、和歌山線は一部未乗。和歌山−日根野間が加わって阪和線完乗。

JR全線完乗率 24.04%



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