ミニトリップ(3) 舞鶴赤レンガ倉庫群と長浜黒壁スクエア
2009/03/06

青春18切符はあと2日分ある。
どんな所か興味のあった舞鶴赤レンガ倉庫群から、長浜へ日帰り旅行することにした。
京都−福知山−敦賀−京都と回る右回りルートと、その逆回りの左回りルートが考えられる。
左回りルートに比べ右回りルートはすこぶる接続が悪い。2時間以上も長く懸かる。列車のスピードに差はないので、その分待ち時間が長くなってしまう。しかし、どうしても右回りで行きたかった。その理由は後で述べる。結局、特急によるショートカットを2回入れる計画になった。
朝、予定より早く眼が覚めた。とにかく駅へとまだ暗いウチに出発する。予定していた京都発8:26より一本早い7:48の列車に間に合った。これで特急によるショートカットが1回不要になる。
33番ホームで待っていると、休日なのにラッシュアワーのような状態で6両編成の列車が入ってきた。オレンジと緑の湘南色に塗り分けたボックスシートの旧型から、快速に使われているクロスシートの列車に変わっていた。
高架になった二条駅を通過。神社のようだった旧駅舎の跡が、駅前にポツンと空き地で残っている。
木造の大屋根が美しいカーブを描いている。日豊本線の日向市駅が木造の大屋根で売り出しているが、こちらが先輩である。
高架から地上に降りると複線化のための路盤拡張工事をしている。あのラッシュに、山陰本線も重い腰を上げてようやく複線化に踏み切ったのかと思う。

嵯峨嵐山駅を出ると小倉山の下をトンネルで一気に通過する。
旧線がその景色を誇っていた保津川沿いは、総てトンネルに覆われてしまった。トンネルとトンネルの間に一瞬だけ見える風景は、人口百万の都市から15分の所とは思えない荒涼とした山峡である。
保津峡駅も本当に山の中の駅になってしまった。
トンネル群を抜け、トロッコ亀山駅が右手にチラリと見えると丹波盆地に入る。
園部駅で4両が切り離されて2両になる。立っている人も居る。車掌が検札にやって来た。あちらかもこちらからも青春18切符が差し出される。5人で一枚の切符を使っているアラ還の女性グループも居る。青春18切符はこんなに普及していたのか。

はてさて皆さんはどこまで行くのだろうと観ていると、福知山駅で待っていた城崎温泉行きに殆どが乗っていった。
高架ホームに北近畿タンゴ鉄道のワンマンカーがポツンと取り残されていた。クロスシートに白いカバーがかかっている。これにも乗ってやりたくなった。

福知山駅の広い駅前にはSLが転車台と共に飾られている。
この広場も、かって貨物列車で賑わった場所なのかもしれない。

長い時間待を終えてようやく、舞鶴線の列車が福山駅を出発した。
直ぐに左手の小山の上に福山城が姿を現す。
明智光秀が本城亀山城に次ぐ重要拠点と定めて築城した。復元天守であるが、こぢんまりと、良い格好に出来上がっている。本来なら亀山城を復元したかったのだろうが、某教団に乗っ取られていて思うに任せない。ここに白羽の矢が立ったのだろう。
終点東舞鶴の一つ手前、西舞鶴駅を出ると直ぐ左手の公園の中に田辺城がある。
門等が復元されているが石垣は殆ど無い。光秀の盟友だった細川幽齋(藤孝)が、関ヶ原の戦いの時に西軍に囲まれながら古今集を伝授した城である。古典が失われるのを嘆いた天皇から停戦の詔勅が下り、城は落城を免れた。芸は身を助けるを地で行くような話だ。



東舞鶴駅を降りて駅前を斜め左に向かうと、薬局と病院の間にタイルで舗装された遊歩道が現れる。図柄から廃線跡だと一目でわかる。中舞鶴駅までたったの2駅の中舞鶴線の跡である。
遊歩道沿って歩くと、カーブの向こうに北吸(きたすい)トンネル跡が見えてくる。凱旋門を思わせるレンガ巻きの立派なトンネルである。

遊歩道の終点が舞鶴市役所やレンガ倉庫群のあるゾーンになっている。
映画やCMでお馴染みのシーンである。
私もこの「画」に惹かれてやってきた。
これだけだと、まだ「生きている」港の古いゾーンという感じがするが、現実の東舞鶴港業に港の活況は無い。

市役所に近い2棟は手を加えられて展示館や喫茶店、コンサートホールになっている。
市役所付近の4棟の内の、この道路に面した倉庫が最も大きいようだ。

市役所地域に隣接して更に4棟の倉庫があり、少し先の道路際にも3棟あった。
ここは自衛隊の補修基地内で、立ち入り禁止になっている。
自衛隊基地内の一棟。破風にはどんな印章が刻まれていたのだろうか。
倉庫横の小高い丘に登ってみる。
舞鶴港はいまでも軍港である。さすがにイージス艦は停泊していなかったが、護衛艦や輸送艦が停泊していた。
丘の上には舞鶴港総督の館が置かれていた。初代総督は東郷平八郎であった。記念館でも建っているかと思ったら老人ホームになっていた。
発車の30分程前に東舞鶴駅に戻ったら、既に小浜線の列車が入っていた。
ライトグリーンのラインが入った車体が小浜線の標準仕様らしい。3ドアに見えるが真ん中のドアは開かない。車内もボックスシートの間が少し開いていて補助席が設けられているが、通路としても使えるようなっている。何という名前の車両か知らないが、ちょっと変わった車両だった。
若狭本郷駅にちょっと変わった機関車が展示されていた。
「義経」号。えっ、あんな貴重な歴史的機関車が雨ざらしで・・・・・。
レプリカだった。
若狭本郷を出て加斗が近づいた所で海岸に出た。
いよいよリアス式海岸の風景の良いところを走るのかと期待したが、海岸線を走るのはここだけだった。小浜線は、地図を見ると若狭湾の海岸線を走っているように見受けられるが、実際には少し内陸を走っている。


小浜駅構内で給水塔とラッセル車を見つけた。
全列車が10分程停車する。対向列車も来たが、さして意味のある停車でもなさそうだ。蒸気機関車時代の給水停車がそのまま残っているのだろうか。電車に給水の必要はない。
2時間で小浜線を走り切り、定刻に敦賀駅到着。
表はしょぼい地上駅だが、多数の引き込み線を持つ近畿と北陸を繋ぐ鉄道の要衝である。人間だけを扱う駅は改装されて立派になっていくが、こうした働き者の駅は昔のままの姿を残している。
16:10発の特急しらさぎ12号が入ってきた。
長浜までこれに乗ることよって2回の乗り換えをパスでき、時間を大幅に節約できる。日が暮れるまでに、昨年車で行った彦根城や安土城跡を列車の窓からもう一度観てみたい。
「しらさぎ」は北陸と名古屋を結んでいる特急で、こういう事でもないと乗らない列車である。


発車後は左側の窓に目を凝らす。
敦賀−新疋田間にはループ線があるが、上り列車しか通らない。これが「右回り」に拘った理由である。
このループ線は殆どがトンネルの中で完結し判りづらい。赤線の上り線は下り線の上を直角に越えていく。ここからトンネルに入るが途中に切れ目があって敦賀の街並みを臨む事が出来る。
灌木に邪魔されて、見えたのは本当に一瞬だけだった。
ループが終わって自線の上を通過するポイントを捜したが、山中を走っており全く判らなかった。
左手に下り線が現れた。いつこの上を通過するのと見守っていたら上下線共にトンネルに入り、出てきた時には下り線の姿は左窓の視野から消えていた。
この敦賀−新疋田間の山中では口径の小さな単線トンネルも見かけた。他にもいろいろと鉄道遺産が有りそうだ。


長浜駅を降りて早速、旧長浜駅へ。長浜鉄道スクエアという名前になっているらしい。
琵琶湖を渡る船の待合いになっていたので当時の駅としては大きな規模であったと言われているが、実物は存外に小さい。内外壁共に綺麗なので補修しているものと思われる。綺麗すぎて日本最古の駅というインパクトがイマイチ伝わってこない。


旧長浜駅を観てから現在の駅を見ると、旧駅を模しているのがよく判る。




長浜駅前に、石田三成が秀吉に茶出す場面の像があった。長浜城主の時代に三成を見いだしたのだったか。信長のような整った顔立ちの秀吉だった。
駅の反対側に出て黒壁スクエアに行ってみた。
古い銀行を改造した“黒壁ガラス館” が特に有名だが、高山の上之町と同じかそれ以上に店屋が多い。「黒壁ブランド」で女性の財布の紐をゆるめようという作戦らしい。
早々に退散した。
長浜観光を僅か30分程で終え、17:06発の長浜始発の新快速に乗った。
あれほど町に人が溢れていたので、さぞかし混んでいることだろうと思ったら意外に空いていた。日が暮れるまで、まだまだ町の賑わいは続くのだろう。
琵琶湖大仏に見送られて長浜を後にした。
JR全線完乗率 32.66
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